古い下着を捨てると大吉

出張先で朝テレビを見ていると、たなくじ、をやっていた。普段はただ観るだけだが、嫁と子供がいないこともあって、何げなく参加してみた。結果は以下のとおり、「古い下着を捨てると大吉」であった。

f:id:uminoyuma2:20150912093528j:image

ちょうど自分が反省していたところだから、結構印象に残ったのである。それは、下着を捨てなければなあ、と思っていたというわけではなくて、初めて見るようにものをみることは難しいことだという反省である。

部屋が汚れているのも、いつの間にか当たり前になってしまう、片付けようという意識を持てない。もし初めてその部屋を見れば、汚いなあ、という感想を持つだろうに。下着が古くなるのも同様である。初めてその使い古された下着を見れば、替えよう、と思うだろうに。そんなこともあってちょうど部屋の掃除をしたところだったのだ。 

(2015/8/30)今月の育児

今月まで日中は休むことができず子どもと触れ合うのはほとんど土日しかなかったが、その分成長に気づくところがあったかもしれない。

まず、歯がさらに生えはじめている。上下の前歯だけでなくて臼歯のあたりが歯茎に見えている。そのせいか、口の中が気になるのか、歯ブラシをもって咥えたままなかなかはなさにことが多いようだった。

外で手を握って一緒に歩くことができた。これはやれるのにやらなかっただけではあるが、この数カ月で、家の中で歩けるようになり、外で歩けるようになり、そうして手を握って公園や家の前を一緒に歩いた。ああこれが幸せというものなのか、という気もするし、気をつけないと手を振りほどき飛び出してしまうなというおそれもいだいた。

まだしゃべることはできないが、妻が歌う歌のある部分を一緒に声を出している。いないいない、といえば、ばあ、と答えてくれる。蛙の歌が聞こえてくると、といえば、ば・ば・ば、と答えてくれる。 

今月は出社時間が遅くなったこともあり、朝教育テレビを見ることができた。とくにフックブックローが、子供ではなく自分自身がなんとなくいつも見てしまう。教育テレビさまさまである。

子供を布団の上で転がすと喜んでいるので、さらに一緒にグルグルと布団にくるまる遊びを発明?した。最初はひとりでやっていて「パパロール」などといっていたが、娘と一緒なので「家族ロール」、もしくは「家族巻き」、などと叫びながらくるまっている。

https://instagram.com/p/6_Le2ou-KG/

https://instagram.com/p/6_OOYDu-AL/

 

 

 

 

 

 

 

(2015/8/23)横浜市児童遊園地、極楽湯

先日、といっても一月ほど前のことになるが、横浜市児童遊園地に行った。

横浜市 環境創造局 横浜市児童遊園地(保土ケ谷区)

バスで最寄りの「児童遊園地入口」まで移動。こどもはバスに揺られてぐっすり寝ていた。

バス停から坂を登って公園へ。温水プールやこども植物園なる姿勢も隣接しているが、今回は公園の散策のみになった。

向日葵が咲いていた。まばらにひょろひょろと生えている向日葵は力強さというよりも切なさを醸し出していた。下の方の葉っぱがすでに枯れているのもまた切ない。

https://instagram.com/p/5B3HiJu-GO/

お弁当を食べる広場があった。中央に生い茂る草にビニールシートを引いてお弁当を食べられる、らしい。もう少し涼しい季節に利用したい。脇のベンチでお昼を食べた。

https://instagram.com/p/5B3Kw5O-Gi/

公園の中も坂が多く、ベビーカーを押しながらの昇り降りは少しきつい。ジョギングをする一にはちょうどよいのか何人も走る人がいた。

https://instagram.com/p/5B3NoLO-Gu/

遊具がたくさん敷設してある広場には子供連れの家族が沢山いて、ここでしばらくこどもに歩行の練習をさせた。もうだいぶ歩けるようになってきた。

https://instagram.com/p/5B3Qbhu-G7/

その後、温泉に行った。家に割引チケットが投函されていたのだった。

www.gokurakuyu.ne.jp

https://instagram.com/p/5B3S9YO-HL/

公園からバスで極楽湯に移動。壺湯、寝湯、など様々な種類の温泉があり、一つ一つは狭いものの、なかなかアトラクション色豊かな温泉だった。普段は温泉に行ってもすぐに出てしまう私も楽しめた。風が涼しかった。 

(2015/8/11)『戦後論』という本を読んだ

敗戦後論』を扱った本として加藤さん自身が言及していることもあり、次の本を借りてきて斜め読みした:

戦後論 日本人に戦争をした「当事者意識」はあるのか

戦後論 日本人に戦争をした「当事者意識」はあるのか

 

斜め読みといっても、結論部だけ読んだ程度であるが、ぞくっとするフレーズが光る。

人は、医者となることで、病気から免れるわけではない。そしてもちろん、医者よりも患者の方が「当事者」として生きているのである。

(略)

「当事者」としてあることは、「責任」をもつ者よりも先立ってあるが、また、後まで残るのである。

 「加藤典洋」の名前が一度も出ない結論部を読む限り、『敗戦後論』は話のきっかけに過ぎないのだなと感じた。憲法の選び直し論のその後を追う意味ではあまり意味がない本ではあるが、読む価値がありそうな本である。

***

 その後、同じ筆者の書いた新刊への、否定的なレビューが一部で話題になっているのを読んだ。

www.amazon.co.jp

***

その後、さらにしばらくたって、本の真ん中の部分、『敗戦後論』の批判を取り上げた部分は読まずに戦後の知識人の戦争への態度を仕分けていくあたりを読んだ。この本を読んだ頃は、というのは今まさになのだが、本書のキーワードである「当事者」ということが、私の生活に必要であると自覚された頃だったので、興味深く読んだ、ということなのだろう。それは、妻からは育児に関してもっと関与を求められたという情けなくも申し訳ない話でもあり、仕事に関してもいろいろと思うところがある昨今と言う状況でもある。

とはいえ本書は、戦争の当事者として戦後評論活動を行ったもののうち、たとえば大岡昇平、あるいは吉田満、注には山本七平の名前もあり、筆者の言う当事者性の薄い言論として、丸山眞男鶴見俊輔家永三郎のそれを挙げていて、その違いは戦争への関与が負けたチームながらレギュラーとして戦った前者と、補欠として戦った後者の違いに求めていて、それは、ただそれだけなのではないか、と感じた。

この辺りは、だいぶビジネスに毒されている部分があるのかもしれない。読んでいながら、パワポで数枚にまとめてくれれば十分なのに、と思わないでもなかったことがなんどもあった。筆者の師匠の加藤典洋のように、まだ文章のうねうねとした藝のようなものがあればよいのだけれど、まあ修士論文をうねうねと書かれても閉口するかもしれないが、きつい部分もいなめなかった。それで、当事者性があればこんなメリットが有る、とか、ないのでこんなデメリットがあった、とか、そういう話ではなかった。

つまり、筆者が研究を進めながら自分の考えを育て上げていった成長感覚を追体験できるわけでもなく、あらかじめ決められた枠組みのなかに既存の言説を分類しました、という感じであった。それはどうなんだろうかと思う。ところで筆者に興味を持って、アマゾンなどで著書やその評判を確認していくと、大菩薩峠についての本があり、こうした評があった:

何というか、テーマへのアプローチの仕方がネガティブなもののように思います。
この本はつまらないという前提から始まって、何故つまらないのか → 連載当時の文を読んでみたら面白かった → よって単行本がつまらないのは介山の編集がまずいからだ……という結論に達しているわけですが、これは狭量に過ぎるように思います。

Amazon.co.jp: 「大菩薩峠」を都新聞で読むの __ __さんのレビュー

本は違えど、おんなじような印象を持った。つまり、結論ありきでロジックを展開させる資料を読んだときの嫌悪感。

とはいえ、当事者、というのは誰にとっても切実な問題であろうことは間違えなく、それを第二次世界大戦への関与の仕方を例にとって論じる、というのは、しかし、なかなか難しいことではある。私は私の当事者たるべき分野を当事者としてことをあたる、という、そうした決意を、もしかしたらネガティブな印象が強かったかもしれない読書から抱いた。

***

以下、鶴見俊輔の死去に伴う次のような記事を書いた。 

uminoyuma2.hatenablog.com 

uminoyuma2.hatenablog.com 

uminoyuma2.hatenablog.com

(2015/8/9)『さようなら、ゴジラたち』という本を読んだ

久々に加藤典洋さんの本を読んだ。

さようなら、ゴジラたち――戦後から遠く離れて

さようなら、ゴジラたち――戦後から遠く離れて

 

 といっても5年前の本、読みたかった論文「戦後から遠く離れて」は『論座』の2007年月6号だからかなり以前のもの、第一次安倍政権のころのものである。憲法の選び直し論のヴァリエーションを以前記述した。 

uminoyuma2.hatenablog.com

その後加藤さん自身が書いていることを発見して読んだわけだが、加藤さんの文章を読むのは学生時代ぶり(!)だが、その論旨のうねうねとするところがやはりいい。そのおかげで論旨を読み取った自信がないという副作用があるが、文章を読む楽しみがある。

とはいえやはり、その選び直し論がどのように更新されるのか、はたまた破棄されるのかと言う点について、いろいろと迂回しながら、結局は選び直し論を選ぶ、という結論であって多少ずっこけるところもある。では前回の選び直し論とはどう違うのかということであるが、そもそも『敗戦後論』の選び直し論も具体的には何を行うのかということについては、明確な言明はなかったように思う。今回のそれも、やはり具体的な言明はなかったように思う。なんだかよくわからない感じではある。前回の選び直し論について次のように評価している:

しかし、いまの目から見れば、この処方は、「よごれ」と「ねじれ」を受けとめ、これを「生きる」仕方としては、やや、不徹底だったのではないだろうか。筆者は、「恥の多い生涯を送って来た」憲法の生態、いわば「生きざま」からも、「恥の多い」ねじれた生涯を生きるというのが、どういうことか、学ぶべきだったのである。その意味では、方向こそ逆向きではあれ、『敗戦後論』での筆者の言い分には、まだ、現在の安倍晋三氏の主張に通じる、「一本木」なところがあったと言わなければならない。

 憲法を選び直すことは、ねじれ、ねじれというのは平和憲法を武力を背景に押し付けられた制定過程の経緯を指しているわけだが、このねじれを解消することであるが、これは、一本木である、と。一本木で何が悪いのかという気がしないでもないが、これを受けた今回のアップデート版での選び直し論はなにを意味するのかと言うと、「理念と現実の落差をそのまま、持ち越す現状維持」という選択になる。

選び直すという能動的な行為が意味するものが現状維持という状態を示しているというのは、大変わかりづらいが、そういうことである。この論が参照している内田樹さんの文章で言い換えると、

日本人が今まず行うべきことは、「問題の先送り」という疾病利得を得ることの代償に、憲法九条自衛隊の無矛盾的並立を矛盾として苦しみ、それでもなお生きながらえてきたという動かしがたい事実を世界に告げることだと私は思うのである。(「憲法がこのままで何か問題でも?」)

 となる。「世界に告げる」とはまた抽象的な、とは思う。

加藤さんいわく、「戦後憲法を支えてきたのは、他国が攻めてきたらやはり怖い、しかし他国を攻めることようなことはもう、したくない、というふつう一般の世間の人々の願い」であるという。この、後者を支えているのが憲法であり、前者を支えているのが自衛隊日米安保体制ということになり、理念と現実にギャップがありさらにまたこのギャップ自体が悪くないという構造が、恥の多い生涯を送ってきた憲法、ということになる。だから、憲法を正とすることも自衛隊と安保体制を正とすることでもなく、現状維持、が世間一般のひとの願いを実現する選択肢という結論となっている。

論の中に、吉本隆明の言葉が引用されている。

いざ戦争に負けてみると、正義と信じた戦争はあまりに愚劣なものであったことを、骨身に染みて知りました。そのとき、憲法九条が差し出された。僕らは戦争を心から恥じ、悔いましたが、これで戦争のモトが取れたのだ、と考えてかろうじて自分を慰めてきたのです。(『わが「転向」』)

加藤さんいわく、憲法はここでは理念という概念であって、必ずしも現実に着地すべきものとは考えられていないという。このあたりの考え方には違和感があり、憲法は理念ではなくて法律であって、いつまでも法律と現実が合致しないのは法律の存在価値を毀損するものであると思う。とはいえ、憲法をそのような理念の表明と考える方々の存在、というのは、確かにあったのだろうということについて、少し想像が及びづらくなっているところでもある。戦後70年というのは、憲法をそのような理念と捉える方々がそろそろいらっしゃらなくなっている時期とも言える。

(2015/8/3)アンテナとしての研修

最近伺っていたお客様先の最寄りの駅を歩くたびに気になっていたことがあった。汚いハローキティの銅像が置かれていたのだ。なぜだろうとかすかに思いながらも慌ただしい通勤の途上でもあり、深く気に留めずに横を通り過ぎる日々だった。

ある日本社に戻る日があり、同僚といろいろ話している時にその駅の話になった。

「厚木といえば、豚だよね」

と、その同僚は言った。

「ぜんぜん知りませんよ」

「有名だよ。せっかく通っているんだからシロコロホルモンを食べたら?」

などと話した翌日、やはり駅を歩くと、ものすごく驚いた。いつも私が見ていたそれは、汚いハローキティではなかったのだ。それは、あゆコロちゃん、という地域のゆるキャラで、豚をモチーフとする銅像だったのだ。

ja-jp.facebook.com

その後別の同僚から、あゆコロちゃんとハローキティがコラボしていると知らせがあった。見間違えたのはあながち理由がない話でもなかった。

www.nikkan.co.jp

豚が有名ときいた翌日、いつも見ていた汚いハローキティが豚の銅像と気づいた、というのは、しかし、示唆に富む話である。意識が低いと、見ていても正しく見ることができないのである。頭にアンテナを張ったことで物事をキャッチ出来たとも言える。

さて、ここで話は変わる。というか、ここからが言いたいことである。

私の生業は社会人向けの研修教育サービスであるが、数日間、長くても数ヶ月の研修期間で、教えるべきトピックをすべて理解させ、さらに実践させることは難しい。研修中やその翌日からスキルが発揮されない現状をもって研修など意味がないと判断される方もいらっしゃるかもしれない。

しかし、研修ではアンテナを高く張っているのだ、と考えてほしいと思う。

今後の業務や人生で、ふと、この状況は以前言われたことだなと思うことがある。そのときはなんでそんなことを言われているのかわからずに聞き流していたかもしれない。しかし今、その必要性にあなたは気がついたわけだ。

それは多分、そのとき言われなければ今気が付かなかったことだ。そして気づいた以上、言われた時にはできなかったそれをあなたはいまこそ実践できる、と私は思う。気づいたということは機が熟したということ、今までできなかったそれが今やできるようになっているということだ。

研修は研修期間で終わるものではない。研修で張ったアンテナはずっと状況を察知するのに使われ続ける。そんなふうに思ってもらうと、講師冥利に尽きる。

(2015/8/2)出版された卒業論文

卒業論文を書いていたころ、出版された卒業論文はどれだけあるのだろうかと思った。博士論文はもちろん、修士論文でも単行本、もしくは新書になるものはぽつぽつあるが、卒論となるとあまり見当たらない。いまあらためて調べてみようと思ったが、しかし、以下の本が様々話題になってこともあるのか、なかなかgoogleで検索しても見つけられなかった。

神国日本の精神―真の宗教立国をめざして (OR books)

神国日本の精神―真の宗教立国をめざして (OR books)

 

 もう少し調べると、山本コータローさんが書いた卒論が出版されたとあった。

誰も知らなかった吉田拓郎 (文庫ぎんが堂)

誰も知らなかった吉田拓郎 (文庫ぎんが堂)

 

とはいえ在学中にすでに有名人であったという事情もあろう。

逆に、出版したものを卒業論文にするということがある。自費出版の「娼婦論」を卒論として提出、小野梓記念賞芸術賞を受賞、とあるから第一文学部の一等賞ということなのかしら。一読、才能の煌めきにうんざりさせられる。 

荒川洋治全詩集―1971‐2000

荒川洋治全詩集―1971‐2000

 

 同じ早稲田の一文の卒業論文で、そのままの形ではないが小説の形に変えて出版されたのが北村薫さんの『六の宮の姫君』だ。主人公が卒業論文で、なぜ芥川龍之介が「六の宮の姫君」を書いたのか、という謎を追うという筋で、それは北村薫さん自身の卒論をほぼほぼ使った内容という。感動して、それで自分の卒論のプロローグに引用してしまった。

私のような弱い人間に、時代に拠らない不変の正義を見つめることができるだろうか。それは誰にも、おそろしく難しいことに違いない。ただ、そのような意志を、人生の総ての時に忘れるようにはなるまい。また素晴らしい人達と出会い自らを成長させたい。内なるもの、自分が自分であったことを、何らかの形で残したい。

思いを、そう表に出せば、くすぐったく羞ずかしい。嘘にさえなりそうだ。だからそれは、実は、言葉に出来ないものなのだ。

それは一瞬に私を捉えた、大きな感情の波なのだ。 

六の宮の姫君 (創元推理文庫)

六の宮の姫君 (創元推理文庫)