(2015/8/23)横浜市児童遊園地、極楽湯

先日、といっても一月ほど前のことになるが、横浜市児童遊園地に行った。

横浜市 環境創造局 横浜市児童遊園地(保土ケ谷区)

バスで最寄りの「児童遊園地入口」まで移動。こどもはバスに揺られてぐっすり寝ていた。

バス停から坂を登って公園へ。温水プールやこども植物園なる姿勢も隣接しているが、今回は公園の散策のみになった。

向日葵が咲いていた。まばらにひょろひょろと生えている向日葵は力強さというよりも切なさを醸し出していた。下の方の葉っぱがすでに枯れているのもまた切ない。

https://instagram.com/p/5B3HiJu-GO/

お弁当を食べる広場があった。中央に生い茂る草にビニールシートを引いてお弁当を食べられる、らしい。もう少し涼しい季節に利用したい。脇のベンチでお昼を食べた。

https://instagram.com/p/5B3Kw5O-Gi/

公園の中も坂が多く、ベビーカーを押しながらの昇り降りは少しきつい。ジョギングをする一にはちょうどよいのか何人も走る人がいた。

https://instagram.com/p/5B3NoLO-Gu/

遊具がたくさん敷設してある広場には子供連れの家族が沢山いて、ここでしばらくこどもに歩行の練習をさせた。もうだいぶ歩けるようになってきた。

https://instagram.com/p/5B3Qbhu-G7/

その後、温泉に行った。家に割引チケットが投函されていたのだった。

www.gokurakuyu.ne.jp

https://instagram.com/p/5B3S9YO-HL/

公園からバスで極楽湯に移動。壺湯、寝湯、など様々な種類の温泉があり、一つ一つは狭いものの、なかなかアトラクション色豊かな温泉だった。普段は温泉に行ってもすぐに出てしまう私も楽しめた。風が涼しかった。 

(2015/8/11)『戦後論』という本を読んだ

敗戦後論』を扱った本として加藤さん自身が言及していることもあり、次の本を借りてきて斜め読みした:

戦後論 日本人に戦争をした「当事者意識」はあるのか

戦後論 日本人に戦争をした「当事者意識」はあるのか

 

斜め読みといっても、結論部だけ読んだ程度であるが、ぞくっとするフレーズが光る。

人は、医者となることで、病気から免れるわけではない。そしてもちろん、医者よりも患者の方が「当事者」として生きているのである。

(略)

「当事者」としてあることは、「責任」をもつ者よりも先立ってあるが、また、後まで残るのである。

 「加藤典洋」の名前が一度も出ない結論部を読む限り、『敗戦後論』は話のきっかけに過ぎないのだなと感じた。憲法の選び直し論のその後を追う意味ではあまり意味がない本ではあるが、読む価値がありそうな本である。

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 その後、同じ筆者の書いた新刊への、否定的なレビューが一部で話題になっているのを読んだ。

www.amazon.co.jp

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その後、さらにしばらくたって、本の真ん中の部分、『敗戦後論』の批判を取り上げた部分は読まずに戦後の知識人の戦争への態度を仕分けていくあたりを読んだ。この本を読んだ頃は、というのは今まさになのだが、本書のキーワードである「当事者」ということが、私の生活に必要であると自覚された頃だったので、興味深く読んだ、ということなのだろう。それは、妻からは育児に関してもっと関与を求められたという情けなくも申し訳ない話でもあり、仕事に関してもいろいろと思うところがある昨今と言う状況でもある。

とはいえ本書は、戦争の当事者として戦後評論活動を行ったもののうち、たとえば大岡昇平、あるいは吉田満、注には山本七平の名前もあり、筆者の言う当事者性の薄い言論として、丸山眞男鶴見俊輔家永三郎のそれを挙げていて、その違いは戦争への関与が負けたチームながらレギュラーとして戦った前者と、補欠として戦った後者の違いに求めていて、それは、ただそれだけなのではないか、と感じた。

この辺りは、だいぶビジネスに毒されている部分があるのかもしれない。読んでいながら、パワポで数枚にまとめてくれれば十分なのに、と思わないでもなかったことがなんどもあった。筆者の師匠の加藤典洋のように、まだ文章のうねうねとした藝のようなものがあればよいのだけれど、まあ修士論文をうねうねと書かれても閉口するかもしれないが、きつい部分もいなめなかった。それで、当事者性があればこんなメリットが有る、とか、ないのでこんなデメリットがあった、とか、そういう話ではなかった。

つまり、筆者が研究を進めながら自分の考えを育て上げていった成長感覚を追体験できるわけでもなく、あらかじめ決められた枠組みのなかに既存の言説を分類しました、という感じであった。それはどうなんだろうかと思う。ところで筆者に興味を持って、アマゾンなどで著書やその評判を確認していくと、大菩薩峠についての本があり、こうした評があった:

何というか、テーマへのアプローチの仕方がネガティブなもののように思います。
この本はつまらないという前提から始まって、何故つまらないのか → 連載当時の文を読んでみたら面白かった → よって単行本がつまらないのは介山の編集がまずいからだ……という結論に達しているわけですが、これは狭量に過ぎるように思います。

Amazon.co.jp: 「大菩薩峠」を都新聞で読むの __ __さんのレビュー

本は違えど、おんなじような印象を持った。つまり、結論ありきでロジックを展開させる資料を読んだときの嫌悪感。

とはいえ、当事者、というのは誰にとっても切実な問題であろうことは間違えなく、それを第二次世界大戦への関与の仕方を例にとって論じる、というのは、しかし、なかなか難しいことではある。私は私の当事者たるべき分野を当事者としてことをあたる、という、そうした決意を、もしかしたらネガティブな印象が強かったかもしれない読書から抱いた。

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以下、鶴見俊輔の死去に伴う次のような記事を書いた。 

uminoyuma2.hatenablog.com 

uminoyuma2.hatenablog.com 

uminoyuma2.hatenablog.com

(2015/8/9)『さようなら、ゴジラたち』という本を読んだ

久々に加藤典洋さんの本を読んだ。

さようなら、ゴジラたち――戦後から遠く離れて

さようなら、ゴジラたち――戦後から遠く離れて

 

 といっても5年前の本、読みたかった論文「戦後から遠く離れて」は『論座』の2007年月6号だからかなり以前のもの、第一次安倍政権のころのものである。憲法の選び直し論のヴァリエーションを以前記述した。 

uminoyuma2.hatenablog.com

その後加藤さん自身が書いていることを発見して読んだわけだが、加藤さんの文章を読むのは学生時代ぶり(!)だが、その論旨のうねうねとするところがやはりいい。そのおかげで論旨を読み取った自信がないという副作用があるが、文章を読む楽しみがある。

とはいえやはり、その選び直し論がどのように更新されるのか、はたまた破棄されるのかと言う点について、いろいろと迂回しながら、結局は選び直し論を選ぶ、という結論であって多少ずっこけるところもある。では前回の選び直し論とはどう違うのかということであるが、そもそも『敗戦後論』の選び直し論も具体的には何を行うのかということについては、明確な言明はなかったように思う。今回のそれも、やはり具体的な言明はなかったように思う。なんだかよくわからない感じではある。前回の選び直し論について次のように評価している:

しかし、いまの目から見れば、この処方は、「よごれ」と「ねじれ」を受けとめ、これを「生きる」仕方としては、やや、不徹底だったのではないだろうか。筆者は、「恥の多い生涯を送って来た」憲法の生態、いわば「生きざま」からも、「恥の多い」ねじれた生涯を生きるというのが、どういうことか、学ぶべきだったのである。その意味では、方向こそ逆向きではあれ、『敗戦後論』での筆者の言い分には、まだ、現在の安倍晋三氏の主張に通じる、「一本木」なところがあったと言わなければならない。

 憲法を選び直すことは、ねじれ、ねじれというのは平和憲法を武力を背景に押し付けられた制定過程の経緯を指しているわけだが、このねじれを解消することであるが、これは、一本木である、と。一本木で何が悪いのかという気がしないでもないが、これを受けた今回のアップデート版での選び直し論はなにを意味するのかと言うと、「理念と現実の落差をそのまま、持ち越す現状維持」という選択になる。

選び直すという能動的な行為が意味するものが現状維持という状態を示しているというのは、大変わかりづらいが、そういうことである。この論が参照している内田樹さんの文章で言い換えると、

日本人が今まず行うべきことは、「問題の先送り」という疾病利得を得ることの代償に、憲法九条自衛隊の無矛盾的並立を矛盾として苦しみ、それでもなお生きながらえてきたという動かしがたい事実を世界に告げることだと私は思うのである。(「憲法がこのままで何か問題でも?」)

 となる。「世界に告げる」とはまた抽象的な、とは思う。

加藤さんいわく、「戦後憲法を支えてきたのは、他国が攻めてきたらやはり怖い、しかし他国を攻めることようなことはもう、したくない、というふつう一般の世間の人々の願い」であるという。この、後者を支えているのが憲法であり、前者を支えているのが自衛隊日米安保体制ということになり、理念と現実にギャップがありさらにまたこのギャップ自体が悪くないという構造が、恥の多い生涯を送ってきた憲法、ということになる。だから、憲法を正とすることも自衛隊と安保体制を正とすることでもなく、現状維持、が世間一般のひとの願いを実現する選択肢という結論となっている。

論の中に、吉本隆明の言葉が引用されている。

いざ戦争に負けてみると、正義と信じた戦争はあまりに愚劣なものであったことを、骨身に染みて知りました。そのとき、憲法九条が差し出された。僕らは戦争を心から恥じ、悔いましたが、これで戦争のモトが取れたのだ、と考えてかろうじて自分を慰めてきたのです。(『わが「転向」』)

加藤さんいわく、憲法はここでは理念という概念であって、必ずしも現実に着地すべきものとは考えられていないという。このあたりの考え方には違和感があり、憲法は理念ではなくて法律であって、いつまでも法律と現実が合致しないのは法律の存在価値を毀損するものであると思う。とはいえ、憲法をそのような理念の表明と考える方々の存在、というのは、確かにあったのだろうということについて、少し想像が及びづらくなっているところでもある。戦後70年というのは、憲法をそのような理念と捉える方々がそろそろいらっしゃらなくなっている時期とも言える。

(2015/8/3)アンテナとしての研修

最近伺っていたお客様先の最寄りの駅を歩くたびに気になっていたことがあった。汚いハローキティの銅像が置かれていたのだ。なぜだろうとかすかに思いながらも慌ただしい通勤の途上でもあり、深く気に留めずに横を通り過ぎる日々だった。

ある日本社に戻る日があり、同僚といろいろ話している時にその駅の話になった。

「厚木といえば、豚だよね」

と、その同僚は言った。

「ぜんぜん知りませんよ」

「有名だよ。せっかく通っているんだからシロコロホルモンを食べたら?」

などと話した翌日、やはり駅を歩くと、ものすごく驚いた。いつも私が見ていたそれは、汚いハローキティではなかったのだ。それは、あゆコロちゃん、という地域のゆるキャラで、豚をモチーフとする銅像だったのだ。

ja-jp.facebook.com

その後別の同僚から、あゆコロちゃんとハローキティがコラボしていると知らせがあった。見間違えたのはあながち理由がない話でもなかった。

www.nikkan.co.jp

豚が有名ときいた翌日、いつも見ていた汚いハローキティが豚の銅像と気づいた、というのは、しかし、示唆に富む話である。意識が低いと、見ていても正しく見ることができないのである。頭にアンテナを張ったことで物事をキャッチ出来たとも言える。

さて、ここで話は変わる。というか、ここからが言いたいことである。

私の生業は社会人向けの研修教育サービスであるが、数日間、長くても数ヶ月の研修期間で、教えるべきトピックをすべて理解させ、さらに実践させることは難しい。研修中やその翌日からスキルが発揮されない現状をもって研修など意味がないと判断される方もいらっしゃるかもしれない。

しかし、研修ではアンテナを高く張っているのだ、と考えてほしいと思う。

今後の業務や人生で、ふと、この状況は以前言われたことだなと思うことがある。そのときはなんでそんなことを言われているのかわからずに聞き流していたかもしれない。しかし今、その必要性にあなたは気がついたわけだ。

それは多分、そのとき言われなければ今気が付かなかったことだ。そして気づいた以上、言われた時にはできなかったそれをあなたはいまこそ実践できる、と私は思う。気づいたということは機が熟したということ、今までできなかったそれが今やできるようになっているということだ。

研修は研修期間で終わるものではない。研修で張ったアンテナはずっと状況を察知するのに使われ続ける。そんなふうに思ってもらうと、講師冥利に尽きる。

(2015/8/2)出版された卒業論文

卒業論文を書いていたころ、出版された卒業論文はどれだけあるのだろうかと思った。博士論文はもちろん、修士論文でも単行本、もしくは新書になるものはぽつぽつあるが、卒論となるとあまり見当たらない。いまあらためて調べてみようと思ったが、しかし、以下の本が様々話題になってこともあるのか、なかなかgoogleで検索しても見つけられなかった。

神国日本の精神―真の宗教立国をめざして (OR books)

神国日本の精神―真の宗教立国をめざして (OR books)

 

 もう少し調べると、山本コータローさんが書いた卒論が出版されたとあった。

誰も知らなかった吉田拓郎 (文庫ぎんが堂)

誰も知らなかった吉田拓郎 (文庫ぎんが堂)

 

とはいえ在学中にすでに有名人であったという事情もあろう。

逆に、出版したものを卒業論文にするということがある。自費出版の「娼婦論」を卒論として提出、小野梓記念賞芸術賞を受賞、とあるから第一文学部の一等賞ということなのかしら。一読、才能の煌めきにうんざりさせられる。 

荒川洋治全詩集―1971‐2000

荒川洋治全詩集―1971‐2000

 

 同じ早稲田の一文の卒業論文で、そのままの形ではないが小説の形に変えて出版されたのが北村薫さんの『六の宮の姫君』だ。主人公が卒業論文で、なぜ芥川龍之介が「六の宮の姫君」を書いたのか、という謎を追うという筋で、それは北村薫さん自身の卒論をほぼほぼ使った内容という。感動して、それで自分の卒論のプロローグに引用してしまった。

私のような弱い人間に、時代に拠らない不変の正義を見つめることができるだろうか。それは誰にも、おそろしく難しいことに違いない。ただ、そのような意志を、人生の総ての時に忘れるようにはなるまい。また素晴らしい人達と出会い自らを成長させたい。内なるもの、自分が自分であったことを、何らかの形で残したい。

思いを、そう表に出せば、くすぐったく羞ずかしい。嘘にさえなりそうだ。だからそれは、実は、言葉に出来ないものなのだ。

それは一瞬に私を捉えた、大きな感情の波なのだ。 

六の宮の姫君 (創元推理文庫)

六の宮の姫君 (創元推理文庫)

 

 

(多分随時更新)アフォーダンスのいろいろ

videotopics.yahoo.co.j

UIの改悪がUXを改善させる場合 - A Successful Failure

adgang.jp

matome.naver.jp

【超オススメ】【経済的】たったこれだけで、傘を盗まれなくなりました。 ... on Twitpic

 

(2015/7/26)憲法の選び直し論の行方(加藤典洋、橋爪大三郎、宮崎哲弥)

昨日の記事の続きである。 

uminoyuma2.hatenablog.com

憲法の選び直し論のその後を分かる範囲で記載したい。

橋爪大三郎

まず、橋爪大三郎先生は2011年に宮崎哲弥さんの番組で以下のように述べた*1

www.youtube.com

橋爪「戦前も戦後も同じですけど、つまりね、日本人っていうのは自分で憲法の制定に関わった事が一回もないんです。戦前は、天皇を中心とする元勲たちが、勝手に作ってしまった。戦後は、ご承知のように、ごちゃごちゃしているうちに、アメリカと日本の政府の上層部が勝手に作ってしまった。で、主権ていうけども、全然、なんというか蚊帳の外ですよ。こういう状態では、憲法のことがよくわからないのは仕方がない。このために、是非一度、まったく同じ内容の憲法でもいいから、改正したらいいと思います。」
宮崎「選び直し論というやつですね。」
橋爪「選び直し論というか・・・ええまぁそうですね。改正手続きによって改正するんですよ。例えばですをであるにするでも、それだけだっていいんです。」
宮崎「内容は変わらないものを載せてもう一度日本国民によって信任されるかどうかというのは最終的には国民投票にかけられますから、その一種の国民的なセレモニーというかイニシエーションというかそういうことを行う必要があると。」
橋爪「それは非常に大きな教育効果があると思いますね。そこでね、憲法のどこが変わるかっていうと前文が変わります。前分は、大日本帝国憲法の改正として朕なになにとこう書いてあるんですけども。」
宮崎「ぜんぶんってまえぶんのことですね。ちょっと見てみましょうか。」

橋爪「それがどうなるかっていうと・・・いや、この前文よりもっと前ですね。多分。それがこうなる『我々日本国民は憲法をさらに国民の間に定着させるためこのたび憲法を改正することにしました。内容はほとんど同じですけども、私たちを憲法とよりよい関係にするためにこの憲法改正を行うものです何月何日』と。」
宮崎「そういう宣言を載せるわけね。」
橋爪「そう。」
田添「なるほど、そうするとようやく国民の中でも、自分が主権をもっているというような主体であるということが・・・」
宮崎「あのね、この憲法っていうのは国民が国家に対して発するものですから、国民が当事者意識、自分たちが創った自分たちのモノだという意識を持っていないというのは本来的におかしい、というか巨大な矛盾を孕んでいるわけですよね?」
橋爪「ですよね。」
宮崎「そこを解消するために、とりあえず、いまの文言は同じなんだけども、いまの一文を冒頭に付けた、そういう改正を行うというご提案なんです。」
橋爪「それでも大変価値がある。もしその機会についでに中身が変えられるならA案B案C案ってやってね、改正をすればいいんですけども、やっぱり中身に関わるといろいろ議論百出だから。」
宮崎「とりあえずは自分たちのものにたぐり寄せるような試みをしなければいけない。」
橋爪「そういうことです。」
宮崎「それをしなければ、憲法憲法として機能しないままで終わってしまうということですね。」
橋爪「はい。これはまぁ何千億円かかかるけれども、その結果ですね日本国がよくなれば、何兆円何十兆円の利益が我々に及ぶと思う。」
宮崎「うんなるほど。そういう議論というのは出てきてますか。」
橋爪「いや、私は前に言いましたがあんまり反響が・・・(笑)」

 宮崎さんが、それは選び直し論ですね、と言ったあとで、選び直し論というか、まあそうですね、と言いよどんでいるのが少し可笑しい。内容的には加藤典洋さんのそれとほぼ同じで、前文が書き換わるという点が少し異なっている。

宮崎哲弥

 さらに、この対談のホストである宮崎哲弥さんの立場はやや複雑で、当時、「民主原理主義考」というエッセイの中で「選び直し」論を取り上げ批判していた。

エッセイでは、現在日本に「民主原理主義」が瀰漫している例として憲法についてのアンケートを挙げる。この改憲理由に多くの人が「重要案件についての国民投票の実施」「首相公選制の導入」「情報公開原則の明文化」といった「民主的」な理由を挙げた上で、次のように指摘した。

また、全共闘世代の一部の評論家や学者たちによって「憲法の選び直し」なる珍奇な提案が盛んに唱えられ、年功序列で論壇の「重役」にのし上がった同じ世代に、喝采をもって迎えられた。
いずれの場合も、立憲主義的な近代国家としての公共主体性の正規化、整除化を目指しているという点では反国家的なわけではない。それどころか純化された国民国家主義の相貌が見え隠れしている。
この様は、J・F・ケネディの大統領就任演説の一節「国が諸君に対して何ができるかを問うな。諸君が国に対して何ができるかを自問せよ」という言葉に歓呼をもって応えたビートルズ・エイジの民主国家観を髣髴させる。
しかし、そのようにして造られた理想国家では、果たして抑圧や差別が生起しないだろうか。この社会は果たして「平和的」であろうか。
私はそうは思わない。理想的なデモクラシーによって統制された公共空間は、「夢のニュータウン」にも似た空虚さを湛えている。

当時の私は宮崎哲弥さんを尊敬していて、その人が卒業論文で取り上げたアイデアを批判しているのを読んでだいぶ気が動転して、どうしたものかとあれこれ考えていた。しかしいま見てもよくわからない批判である。エッセイを書いた時に、機嫌でも悪かったのか、と思った。

その後、上記の橋爪先生との対話でも肯定的に選び直し論を取り上げている。また、2013年にはニュース番組で憲法96条の改正の動きの解説でこう述べている*2

宮崎哲弥
「行われてないでしょ。67年間行われてない。つまり、厳密に言うならば、今のこの立憲主義の考え方で言うなら、この憲法は、国民の承認を経ていないと」

山本浩之村西利恵
「うん、うん」

宮崎哲弥
「言っても過言ではない。ならば、この、今回に、この形で、つまり、政府は改憲案を、69条(注:96条)に関して改憲案を出す。それに対して、それが承認されるかどうか。これ、否決された場合にはね、国民投票で否決されても、それはそれで、現行憲法が選ばれたと考えればいいわけです。で、改正案が承認された場合には、その改正案が選ばれたというふうに考える。いずれにしても国民のね、憲法に対する意志というのが、この国民投票によって初めて、実現すると。こういうようなことを考えてみると、私は96条改正案というのは、あり得るべしだと思います」

これは、憲法改正国民投票が行われたとき、結果が賛成でも反対でも、国民が自らの意志で憲法を選んだとみなすという意味で、もう一つの選び直し論と解釈して差し支えないのではないかと思う。

*1:書き起こしは次のブログを使用させていただきました。

宮崎哲弥のトーキング・ヘッズ「憲法って何?」2011年5月20日放送|若武者のブログ

*2:書き起こしは次のブログを使用させていただきました。

ぼやきくっくり | 「アンカー」哲ちゃんが96条改正を分かりやすく解説