(2015/7/19)こども自然公園、万騎が原ちびっこ動物園
こども自然公園に行った。子供の出産直前に行ったのが2年前で梅が咲いていた。また行きたいねなどと話していた。ちょうど梅雨明けのタイミングで暑かった。
第二駐車場に車を止めたが、中心に行くまで少し歩いた。第一駐車場のほうが良かったかもしれない。
お目当ての一つが動物園であった。
この公園の中にあるが、野毛山動物園の分園という扱いのようだ。飼育小屋の中には様々な種類の鳥がいた。
さらに、ハツカネズミやモルモットに触れ合える体験コーナーがある。
モルモットのために座布団を敷き、その上にモルモットを載せる。慣れたもので全然動かずにブラシで毛並みを整えられていた。ただ、子供はまだ動物の概念がないのか、あまり興味を示さなかった。無理に手をモルモットの毛に持って行き撫でさせた。
体験コーナーの中になぜか鶏が放し飼いされていた。
動物園からさらに歩くと立派なアスレチックの公園がある。遊具が密度高く構築されていて、自分が小人であればかなりわくわくするだろうと思う。
暑い日であった。子供の帽子をとると汗で髪の毛がぐっしょり濡れていた。
新人エンジニア研修まとめ(2015年版) *追記あり
こちらの記事をリスペクトしつつ、2015年度のエンジニアの新人研修をまとめました。一部自社が関わったものもありますが。。
なお、最後に追記しています。
株式会社ドワンゴ様
昨年、一昨年に続いて公開されています。KADOKAWA入社の非エンジニア職種も混ざった研修とのことで、研修内容やグループ分けなどを工夫されています。
株式会社ハートビーツ様
CTOの方が執筆した書籍を利用した研修とのこと。書籍自体も新人研修の内容をもとにしているとのことで、未経験者が学びやすい順序で必要なトピックを学習できることでしょう。
面白法人カヤック様
こちらも毎年新人研修の内容を公開されていて参考になります。特に先輩社員の関与のさせ方がいいですね。同じ課題で競わせることで新人の方だけでなく先輩の方にも刺激を与えています。
GMOペパボ株式会社様
守破離の枠組みで研修をデザインされています。資料と研修の様子がぎっちり紹介されています。今後も資料を公開されるとのことで楽しみです。
クックパッド株式会社様
こちらも非エンジニア職の方にも技術研修を実施されています。
株式会社VOYAGE GROUP様
先輩エンジニアが様々なトピックを担当されています。
株式会社ヴァル研究所様
社内で新人研修の重要性を喚起し、多くの人を巻き込むことを意識されています。
ネットコマース株式会社様
研修で使われたスライド。ITのトレンドの技術を幅広く紹介しています。
株式会社モバイルファクトリー様
下記の ガイアックスさんとの共同の研修とのことです。
株式会社ガイアックス様
株式会社リジョブ様
研修を受けられているご本人による報告のようですね。研修頑張ってください。
株式会社日立ソリューションズ様
自律型人材を育成するために、講師が一方的に指導するのではなく、新入社員自身に任せる方針にしたとのこと。
株式会社NTTデータ様
アジャイル型開発手法を採用。技術力が高い新入社員にもチャレンジさせることができ、講師もお膳立てが不要になったというイイトコドリの方策とのこと。
NECネクサソリューションズ株式会社様
こちらも、自社の人材は自社で育てるということで、マネージャクラス、若手社員などが講師を担当しているとのこと。
株式会社富士通システムズ・イースト様
外国籍の方に対してきめ細やかな対応をされています。
追記:師弟登壇2015
師弟登壇というイベントが開催されていました。ガイアックス、カヤック、クックパッド、pixiv、mixi、はてな、GMOペパボ、といった企業が参加しており、私も参加の申し込みをしましたが残念ながら抽選にもれ落選してしまいました。しかし、当日の資料がこちらにアップされています。
研修の企画提供側と参加側の両方の資料があるのが面白いですね。
追記2:株式会社ビズリーチ様
2016年の記事ですが、2015年に新人研修を受けた方が振り返って記事を書かれています。
(2015/7/16)『保育園義務教育化』という本を読んだ。
『保育園義務教育化』という本を読んだ。
紹介する様々な統計データや知見の一つ一つに 同意できる部分は多かったが、根っこにある主張に同意しづらいものが残る。もやもやした気持ちである。
政策提言の本として
政策への提言を抜き出せば、幼少期の教育に掛ける投資が他の時期の教育投資に比べてもっともコストパフォーマンスがよい、というものと、保育園を利用することに偏見が残る日本では義務教育化することによって保育園の利用を選択する心理的障壁を下げられる、というものである。
たとえば利用料の無償化とか、本でも紹介があった保育園の設立規制*1の緩和とか、他にも現実的で有効な施策があるのだろうに、なぜ「義務化」という、実現可能性も低そうだし反発も呼ぶだろう施策を提案するのか、よくわからない。
そもそも「義務教育化」の意味するところを正確に理解できなかった。義務教育の早期化のことなのか。保育園や幼稚園の柔軟な利用を可能にする仕組みのことなのか。
育児書として、自己啓発本として
それはまあしかし、置いておくとして、早期の教育が重要だ、という主張に関しては既存の研究に依存しており、この幼児教育の奨励が、ひっかかっている。たとえば中室牧子さんの研究を紹介したり:
中室さんによれば、経済学者の中でほぼ定説となっている見解があるという。 それは「子どもの教育にお金や時間をかけるとしたら、小学校に入学する前の乳幼児期の教育が一番重要だ」というものだ。
さらに、ノーベル経済学者の研究を紹介したりしている:
ノーベル賞受賞者が断言「5歳までの環境が人生を決める」 乳幼児期の教育が子どもの「非認知能力」を高め、それが「人生の成功」において非常に重要なこと。これを学問的に証明し、ノーベル経済学賞を受賞したのが、シカゴ大学のジェームズ・ヘックマン教授である。
このあたりの知見を批判する材料を持ち合わせていないので、私としてもそうなのだろうとは一旦は考えてはいるのだが、どうも納得しづらい感情もある。
それは私が、人はずっと成長するという心情を持っていることに由来する。成人教育を生業としているのがバイアスを掛けているのかもしれない。幼児期の教育の重要性を重視することが、すでに大人である私の成長意欲をくじく、というのが納得しづらい理由である。
本書では、三歳児神話がまさに神話であることが説明されている。三歳児神話とは三歳までは母親が育てろ、という主張であり、その根拠は薄弱である。それはわかる。ところで、幼児教育の重要性の過度の強調が、新たな神話、幼児教育神話を作り出すのではないかという思いがある。
育児書としては、そんな知見があるものかと思っていまやっている子育てに勤しむ、その行為をサポートしてくれるありがたい本ではある。一方で自己啓発書的な観点で読むと否定したい本ではある。
悩ましい思いである。
熱く激賞する書評:
熱く激賞するツイート:
ゼロ年代後半から続いた若手論客ブームを今回の古市憲寿の著作『保育園義務教育化』(小学館)は完全に終わらせたと思います。これは明確な社会変革への意志です! 東浩紀にも宇野常寛にも書けなかった本だと思います→@kamiyamasahiko
— 中森明夫 (@a_i_jp) 2015, 7月 13
(2015/7/15)チェックとチェックのチェック
先日の記事の続き:
システム監査はただのチェックではなく、チェックとそのチェックである、と説明した。この考え方を「ダブルループ」と言う。
以下の本のp.69より引用。
趣旨は、まず「コントロール」があり、そのコントロールの有効性を高め妥当性を保証するものとしての「監査」がある、ということである。このダブルループの考え方はシステム監査に限らず組織や業務プロセスなど様々な分野に援用できる。
たとえば、ダブルループの図式をプロジェクトマネジメントに適用すると、次のようになると思う(ループの絵が描きづらいので平面に延ばしているが)。
まずはシステム開発プロセスがある。これは顧客の要件をシステムに変換するプロセスである。次に、プロジェクトマネジメントがある。これは、開発プロセスの各段階で上手く進行できているかを管理する仕組みである。最後に、システム監査がある。これは、プロジェクトマネジメント自体の仕組みをチェックする仕組みである。
同様に、システムのテストを考えてみる。
システムが要件どおりに構築できたかを確認する仕組みとしてテストがある。しかし、そのテスト自体は問題ないだろうか。テスト項目が少なかったり、項目の洗い出し方に不備があったりしないだろうか? これを確認するためには、テストの仕組み自体をテストしなければならない。これを、テストのテスト、とする。メタテストともいえる。具体的には信頼度成長曲線やバグ発生曲線などを用いた分析がそれである。
このような、チェックとそのチェックの図式は組織や行動の分析の枠組みとして有効である。
(2015/7/13)システム監査を勉強して自分の業務がなぜそうなっているのかを知る
この春に受験した情報処理技術者試験(システム監査)は、残念ながら不合格だった。午後の試験が長文問題と論文試験から構成されており、長文問題は合格点を上回ったものの論述試験がB評価、あと一歩であった。
あとで訊いたら、システム監査は高度試験の中でも最難関とのことで、合格する、会社から報奨金をもらう、という意味では間違った選択だったかもしれない。しかし、勉強になった。はずかしながら「監査」の考え方をはじめて知った。良かったと思う。
監査とは
私達はときどき間違う。不注意の場合もあるし、つい出来心で、ということもある。そうした個人の間違えが組織の活動に反映されてしまわないように、会社には様々なチェックの仕組みが備わっている。
なぜ交通費の申請を上司がチェックするのか?間違った申請をしたときに修正されるようにであり、虚偽の申請を抑止するためである。
なぜ部署がわかれているのか?チェックする部門とチェックされる部門が緊張関係を保つためである。
しかし、上記のチェック機構が本当に有効に働いているだろうか。上司が交通費の申請をする際に、月末などに貯めこんでしまって大量の申請を抱え、適当にチェックしてしまわないだろうか?
ベネッセの個人情報流出自己があった。ベネッセでは、データベースへのアクセス記録を取得していた。つまり、情報が適切に利用されているかをチェックする仕組みはあったと言える。しかし、それだけだった、その記録をチェックしていなかったのだ。この監査の仕組の欠如が問題を拡大させた原因の一つであると言われている。
つまり、チェックする仕組みのチェックが必要だ、ということだ。これこそが監査である。上記の上司による通勤費申請の例で言えば、たとえば部下が申請を上げてから一定期間後にアラートを上げる仕組みがあれば上司によるチェックが適切に行える、ということになる。
システム監査を勉強して自分の業務のルールの意味を考える
システム監査の午後一問題を勉強していて感じたのが、私はなぜそのような業務があるのかを理解していないということだった。そういうルールだからそうなんでしょう、としか考えていなかったのだ。しかし上記のように、会社にはチェックの仕組みやチェックのチェックの仕組みがあり、そのルールを具体化させたものが会社の業務ルールというものであった。
その関係がわかっていないと試験問題が解けない。だから試験の対策のために、なぜこの業務はこういうふうな仕組みになっているんだろうと考える癖が、少しだけ付いた。これがシステム監査を勉強して一番良かったことである。
ということで、今日から秋の試験の申込が始まった。秋はシステムアーキテクトを受けようと思っている。
(2015/7/12)ブログを書く恥ずかしさを緩和するには
前回の続き。(一冊の本を読んで数個のエントリーを書くという発想も当該書籍の示唆するところである。これも一エントリーで書評を完結させるというハードルの高さを低める役割を果たしていると思う*1)
イケダハヤトさんはブログを書くことを農業に例えている。
お金を稼ぐときに意識したいのは、ブログというのは「ストック型」のビジネスであるということです。継続的に更新を続け、大量の記事をブログのなかに格納することができれば、それらの記事が検索エンジンからのアクセスを稼ぐことになり、極論、何もしなくてもそれなりのアクセスが定常的に訪れることになるのです。(中略)
本気でブログで稼ぎたいと考えている方は、ブログというのは宝くじのような「一発当てる」ビジネスではなく、こつこつと畑を耕すような、ストック型のビジネスであることをぜひ覚えておきましょう。その意味で、ぼくはよく「ブログは農業のようなものだ」というたとえを用いています。ぼくらは農民なのです。
アフィリエイトで収益を稼ぐ趣旨を述べている箇所であり、下品といえば下品であるが、とはいえこのたとえもまた私の恥ずかしさの意識、間違ったことやつまらないことを書いているのではないかというおそれを和らげる働きがあると感じた。農業のたとえが恥ずかしさの緩和策であると思う。
農業においては、一度苗を植えてそれで終了ではなく、定期的に状況を確認して成長を促進する。同様にブログにおいても、一度公開してそのままにするのではなく定期的に読み返して現在の視点で粗があったり不備があれば修正すればよい。つまり、最初に公表する時点で多少間違えていたりつまらなかったりしても構わない、あとで見なおして修正・追記すればよいから、今の時点で記事の稚拙さを恐れる必要はない、というわけですね。
どうやら私はこの本に、恥ずかしさを克服する方法のようなものを求めている気がしてきた。そしてそれはブログを継続する上でかなり重要な要素であるのではなかろうか。
*1:「本を読んだときに、「この本の内容を切り出してブログ記事にできないか?」と考えるようにするのも、解像度を高めるよいトレーニングになるでしょう。一冊の本の中には、それ単体で切り出せるコンテンツが数多く眠っています。(中略)「部分的引用+自分の感想」というフォーマットは実に便利で、一冊の本から4〜5本のブログ記事を生産することも簡単です」
(2015/7/11)ブログを書いて自分のバカさ加減を見つめ成長する話
思うところがあって、イケダハヤトさんの本を読んだ。
前半で紹介している読まれやすい文章の秘訣は、目新しいことはない。技術的な文書を書くときのコツと同じである。ただ、小見出しを付ける、太字にする、といったテクニックは私に欠けていた視点であった。
長い文章が続く場合には、メリハリをつけるためにも「太字」を入れましょう。「ここは特に読んでほしい」「ここが特に重要だ」という部分を太字にするのです。これは視覚的にも有効です。ただただのんべんだらりと続く文章よりも、ときどき太字が出てくる文章の方が飽きずに読み進められるのです。
たしかに読み手本位の工夫である。しかし自分の文章を太字にするのは、端的に言って恥ずかしい。どこに関心を持ってもらうかは読み手が感じることなので、書き手が明示するものではない、という意識がどうしても拭えない。執筆者の視点と編集者の両方の視点が必要であるのは確かであるが。
ブログ継続の敵:恥ずかしさの感情
ブログを継続できない大きな理由の一つが、このような恥ずかしさの感情だと思う。専門家でもないのになにを偉そうなことを書いているんだ、というツッコミを、読んでいる誰かではなく自分自身が行ってしまうことで文章を書くモチベーションが削がれてしまう。
このあたりのイケダハヤトさんのスタンスが素晴らしいと感じた。
人間なんてどうやったってバカで無知なんです。変に賢く取り繕うなんてありません。自分のバカさ加減を知り、高めていけばいいだけの話です。バカだと思われそうなことでも、いざ発言してみたら、意外と評価されたり、共感されたりすることもありますしね。 「完璧な文章」なんてものは、そもそもありえないのです。「今」完璧だと思えたとしても、「1年後」に見たら「何浅いこと言ってるんだ……」と思うことは、ぼくも頻繁にあります。だとしたら、今の完璧にこだわるのなんて、バカみたいな話です。それでは一生書くことはできません。
完璧でなくていいのです、今、自分がたどり着ける限界点を切り出しましょう。バカにされる恐れさえ払拭すれば、執筆は自分の「現在地」を客観的に認識するすばらしい機会となるはずです。言葉を吐き続けるためには、「バカだけどバカなりに頑張っている姿を見せる」という意気込みが必要です。ぼくは「誰よりも多く恥をかく」くらいのつもりで、日々ブログを書いています。
私も昔はバカにされることを恐れていなかったがいつの間にか恐れるようになっていた。それで発信しなくなり、アウトプットの質が落ち、実質的に馬鹿にされる人間になるという負の連鎖に入っている気がしている。よくないことである。ブログを書いて自分のバカさ加減を見つめてまた成長していきたい。