(2015/05/18)保育士の先生が教えてくれた子どもとの接し方の工夫

保育所に行くたびにプロの保育士の子供の接し方に感心させられる。

雨が降っている日の夕方。子供を保育園に迎えに行ったとき。

汚れ物の回収などを済ませ、雨合羽を着せようとした。子供は雨合羽を入れたかばんのデザインと色合いが好きで、花柄のそれをよく「ハナ!」と呼んでいた。外出するときは雨が降っていなくても雨合羽を持ちたがるくらい愛着を感じているようだった。ところが、かばんから雨合羽を取り出したところで愚図りだし、着せようと腕を掴んでも身体を膠着させて嫌がり、泣き出した。

しょうがないなあと無理に着せようとしていたが、保育士の先生が「私が着せてあげますよ」と言った。そこから先生が子供と向き合うとすぐに子供の感情が安定した。雨合羽を腕に通してボタンを締めるまですぐだった。

先生が、(少し得意顔で、)私にしたアドバイスによると、いきなり何かをやってはいけない、ということだった。何も言わずにかばんから雨合羽を取り出して着せようとすのではなく、カッパ着ようね、カッパとってもいい?、などと事前に予告してから行動すると嫌がらないという。

なるほど。

子供が発する言葉はまだ少ないので言葉によるコミュニケーションはまだ出来ないだろうと省略してしまいがちだなと反省した。考えてみれば発する言葉と理解できる言葉の量には差があるのはあたりまで、発する言葉が少ないからといって理解できていないわけではない。

(話は異なるが、自分が英語を勉強している時に痛感することでもある。喋れないからといって完全に英語を理解できていないわけではないんだ、と言いたくなることが英語のコミュニケーションにはよくある。)

さて、それを契機として、子供にもまずは言葉でお願いしようと思った。

保育園に送る道すがら、真っすぐ行けばよい道を何故か曲がりたがったときがあった。あとで妻に聞けば曲がった先にいつもドングリが落ちているエリアがありそこでドングリを拾いたがるということらしい。いつもなら強く腕を引っ張るなり抱っこするところを、まずは屈んでみた。顔を子供に近づけて、「ねえ、まっすぐ行こうよ。保育所の友達と先生が待っているよ。ドングリは、帰りにしようよ」と言った。道の向こうを見つめる子供が、うん、と頷く。本当に言ったことを全部理解したとは思わないが一応パパの思いは伝わったようだった。

事前にお願いをする、ということを意識したきっかけであった。

(これも話が異なるが、『“子”のつく名前の女の子は頭がいい―情報社会の家族 (新書y (045))』という本に、情報の事前送信が重要、ということが書かれていたのを思い返した。)