(2015/8/2)出版された卒業論文

卒業論文を書いていたころ、出版された卒業論文はどれだけあるのだろうかと思った。博士論文はもちろん、修士論文でも単行本、もしくは新書になるものはぽつぽつあるが、卒論となるとあまり見当たらない。いまあらためて調べてみようと思ったが、しかし、以下の本が様々話題になってこともあるのか、なかなかgoogleで検索しても見つけられなかった。

神国日本の精神―真の宗教立国をめざして (OR books)

神国日本の精神―真の宗教立国をめざして (OR books)

 

 もう少し調べると、山本コータローさんが書いた卒論が出版されたとあった。

誰も知らなかった吉田拓郎 (文庫ぎんが堂)

誰も知らなかった吉田拓郎 (文庫ぎんが堂)

 

とはいえ在学中にすでに有名人であったという事情もあろう。

逆に、出版したものを卒業論文にするということがある。自費出版の「娼婦論」を卒論として提出、小野梓記念賞芸術賞を受賞、とあるから第一文学部の一等賞ということなのかしら。一読、才能の煌めきにうんざりさせられる。 

荒川洋治全詩集―1971‐2000

荒川洋治全詩集―1971‐2000

 

 同じ早稲田の一文の卒業論文で、そのままの形ではないが小説の形に変えて出版されたのが北村薫さんの『六の宮の姫君』だ。主人公が卒業論文で、なぜ芥川龍之介が「六の宮の姫君」を書いたのか、という謎を追うという筋で、それは北村薫さん自身の卒論をほぼほぼ使った内容という。感動して、それで自分の卒論のプロローグに引用してしまった。

私のような弱い人間に、時代に拠らない不変の正義を見つめることができるだろうか。それは誰にも、おそろしく難しいことに違いない。ただ、そのような意志を、人生の総ての時に忘れるようにはなるまい。また素晴らしい人達と出会い自らを成長させたい。内なるもの、自分が自分であったことを、何らかの形で残したい。

思いを、そう表に出せば、くすぐったく羞ずかしい。嘘にさえなりそうだ。だからそれは、実は、言葉に出来ないものなのだ。

それは一瞬に私を捉えた、大きな感情の波なのだ。 

六の宮の姫君 (創元推理文庫)

六の宮の姫君 (創元推理文庫)