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(2016/05/01)かつて正しかったことを現在の視点で見直すこと

最近妻が文章を定期的に書いている。影響を受けて、久々に記事を書こうと思った。

これからのエリック・ホッファーのために: 在野研究者の生と心得』という本を読んだ。著者のツイッターを何気なくフォローしていて、ブログに書く記事をたまに読んだり『群像』の評論の賞を受賞されたのをみていた。それ以上に「在野研究者」という言葉に響くところが私にあったのが本を読んだ理由であって、大学の研究機関に所属せずになにか研究して世に役立つことを見つけられないかなと思っていたことがあるからだ。今も少しまだ思っているが。

日本の在野研究者16人の生涯を紹介しつつそこから「心得」を抽出する文章の構成である。小室直樹小阪修平谷川健一、といった人々は私も興味を持つものであって面白かった。それ以外の人は私は知らないかあまり興味もなく、あまりよい読者ではなかった。読んだ今思うのは私は「在野研究」に惹かれているわけではなくて一人でなにかを成し遂げることに興味があるのだなということだ。荒木さんの抜き出した在野研究の教訓にはあまり響かないものも多かった。

あとがきに、大学院時代に指導教授にだろうか、こんなことを指導された、とある。「研究者になりたいのなら教師になるしかない」。教師になるというのは大学の組織に留まるということを意味しており、「至って普通の指導である」。しかし、「わたしはそのたびごとに憤怒」した。憤怒のところには「マジギレ」とルビがある。漢字とカタカナの混ざり具合が著者の持ち味である。

なにが嫌だったのか、色々あるのだろうが、おそらく一番大きかったのが、研究者イコール教師であるという自明の認識を押しつける、その無自覚な鈍感さに私は耐えられなかったのだ。(p.250)

ここで急に話は飛ぶのだが、これも妻の勧めもあり、勝間和代さんの『2週間で人生を取り戻す! 勝間式汚部屋脱出プログラム』を読んだ。勝間さんの断捨離の記録であり、アップルウォッチから自分があまり動いていないことに気付かされた著者が部屋に溜まったあれやこれを片付け続けて部屋に人を呼べるようになったら恋人ができた、という半年の記録である。

指摘の一つに、そのモノが本当に必要かを考えよ、というものがあった。例として挙がっていたのが台所の三角コーナーで、仮にそれがなくとも、生ごみが出るたびにゴミ箱に捨てれば三角コーナーなど要らない、とある。三角コーナーはたしかに狭いシンクを多少専有するものであって汚れがつきやすく残りやすいものでもあって、代用できるモノやプロセスがあれば不要かもしれない、と思った。

当たり前にものがあることによって疑っていないことを、ひとつひとつ疑って、買う前に、本当に必要なのかを考えなさいということです。(p.134)

とはいえ買うときに要不要を適切に検討するのは難しいことも多く、購入以後の使用する段階において定期的に見直すことが重要なのだろうと思う。ふと思い立って我が家の傘立てを確認してみると、半数が壊れて錆びて使用できない傘だった。購入時は必要だったものもいつか不要になるのだが、不要になったタイミングで不要であると判断できなかったり捨てるアクションを取れなかったりする。

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ここで話は戻るのだが、最初の研究と研究機関での教育の話も、歴史的な経緯があって結びついている概念であるが、多様化した生き方、進化した技術、などなど前提が変化している以上、その結びつきはそれほど自明ではなく、それを当然のこととして言明することは偏見でさえある、と言えなおせるであろう。上記二冊は「かつて正しかったことを現在の視点で見直すこと」という観点で同じことを言っているように思えた。

 

これからのエリック・ホッファーのために: 在野研究者の生と心得

これからのエリック・ホッファーのために: 在野研究者の生と心得