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子供の名付けについて

Evernoteを整理していたら、以前mixiに書いた書評のようなものが出てきたので再録する。

[日常生活][記録]『ヤバい経済学 増補改訂版』をいまさら読む2009年05月17日19:30

『ヤバい経済学』(増補改訂版、東洋経済新報社)を読む。社会の中の諸々の因果関係を明らかにするお話が好きなわたしには大変よく楽しめた読書。ニューヨークの割れ窓理論に基づく治安政策は意味がなかったという指摘は意外(警官の数が増えたから治安がよくなった(!))。 終章は子供の名前と将来の成功の度合いの因果関係を探るもの。「痴女」という名前の女性の話や「勝ち馬」と名付けられた兄が犯罪者になり、「負け馬」と名付けられた弟が出世したという話など抱腹絶倒である。 読み進むうち金原克範『〈子〉のつく名前の女の子は頭がいい』を思い出した。冒頭で

僕がこの本で主張しているのは「〈子〉のつく名前の女の子は頭がいい」ということではないのだ。個人の運命は名前で決まるわけではない。名前をみただけでその人の運命など予測できるはずもないのである。

と書くこの本は、姓名判断の参考にしようと購入したかもしれない夫婦をずっこけさせるにとどまらない素晴らしい本であると思うが、親のコミュニケーションのあり方が子に与える影響を主張する金原氏がすらっと通りすぎた「名前→成績」の因果を問い直すところから『ヤバ経』はスタートする。カルフォルニア州の1600万件のデータを分析し得た結論は、名前と将来の教育や所得や健康の間のかかわりは因果関係ではないというもの。「名前は彼の行く末をーー決めるものではなくーー映すものだったのだ」(p.227)。 では名前はどう決まるのか。金谷著ではテレビが社会に広まるとともに「子」のつくような保守的に命名された女性名が減少したと指摘しているが、『ヤバ経』はテレビタレントの影響を否定する。白人と黒人、高所得と低所得の各カテゴリにおける人気の名前の推移から、「高所得・高学歴の親の間ではやった名前が社会・経済のはしごを下へ伝っていく」ことがわかる。つまりタレントではなくて「ほんの数ブロック向こうのご家族、家が大きくて車が新しいおうち」にあやかって名前をつける傾向にあるというのだ。本章の最後のパラグラフには泣いた。

カリフォルニア州の名前データが語っているのは、子供がどれくらい成功してくれると自分たち自身が期待しているかを名前に込める親御さんがものすごくたくさんいるということだ。名前で何かが違ってくるかというと、そんなことはぜんぜんない。でも、親御さんたちは少なくとも、まさしく一番最初から、自分たちはできるだけのことをしたと思えて、少しは気が休まるのだ。

わたしの父母は未だに私の命名の由来を語ってはくれない。