(2019/5/6)ケーキの公平な分配方法

テレビで4歳児の生態?についての番組をやっていて観ていたら、印象的なシーンがあった。クイズ形式で紹介すると、苺のケーキをみんなで分けて食べているときに、1切れ余ることがわかったが、欲しい子が三人いた。そこで四人目の女の子がコーディネートしてうまく解決できたのだが、さて、どうしたでしょうか、となる。

その子はほしいといった子に、苺がほしいんだよね、と確認し、まず苺を取り分けたのだった。その後、残りの二人の子に、クリームの部分、スポンジの部分が分けられて、めでたく三等分できたことになった。オチとして、少しあまったケーキのかけらをその女の子がほしがってもらっていたことを含め、非常に高度な交渉がなされたように感じた。

(2019/5/5)ちょうどよい難易度

子供の誕生日プレゼントに、あみだくじの要領でビー玉を指定の場所に転がすパズルを買った。最初はどうせすぐに飽きるか、パーツをなくしてしまうだろうから、と否定的だったが、本人が気に入っているからと妻に説得された。結果的にすごく良い買い物となった。

良いのは、難易度が徐々に上げられる点だ。最初はほとんど迷う余地のないところからスタートし、一段づつビー玉の置く位置が上昇していく。最上段になると大人でも難しい。

娘を観察すると、難しさの閾値を超えると途端にデタラメにピースを配置するようになるが、ちょうどよい難易度のときは、考えたり、試行錯誤しながら取り組んでいる。こよちょうどよい難易度の設定というのが親の役割なんだろうと思う。

帰省時、爺にもやらせてみたが、かなり手こずっていた。一番難しいレベルからはじめてしまったのがわるかったのだが・・・「次来るときも持ってこいよな」と言っていた。
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(2019/5/4)継続の秘訣

今年のはじめからInstagramに毎日欠かさず写真を投稿している。翌朝になったり、過去の写真を使ったりしながらも、もう120日を数えた。

毎日何かを行うことはたいへん難しい。しかし、定着することもある。日記を書くことは、もう二十年近く失敗している。Instagramは、多少のストレスはありながらも、継続している。一体何が成功の要因となるのだろうか。

その答えの探求というわけでもないが、この5月の1日から、またブログを書き始めた。ブログの毎日更新など、どう考えても無謀であるが、どうだろうか。目標は、令和の終わりの日まで続けることである。

(2019/5/2)アンパンマンが嫌い

娘はアンパンマンYouTubeが好きで、人形を使ったおままごとのビデオをよく見ている。その他、ジグソーパズルや玩具など、どこの家庭もそうかと思うが愛用している。

しかし、謎があり、アンパンマンのアニメが嫌いなのだった。アニメをみなくなってからしばらく経っており、そんなことも忘れていたが、帰省中、義父が見せたアンパンマンのBSの番組に激しく拒否反応を示したことで、まだその傾向があると気づいた。

どうして嫌いなの?と聞くと、だってバイキンマンが意地悪するから、と応えた。それを聞いた妻と同時に、優しい子だね、と感想を漏らした。それと同時にその感覚はよくわかると思った。

アニメの途中に主人公が失敗をするシーンが出ると、耐えられずにみるのをやめたことがよくあった。正確に言うと、その後に失敗するのが予期されるシーンがあると、その失敗がもたらす感情が自分のことのように感じられるもので、その後長じて、それは共感性羞恥と呼び、広く共有された感情であることを知った。子供の頃は、なぜみんな平気で見られるのだろうと思った。特にパーマン、またドラえもんなど、藤子不二雄作品によく感じることが多かった。

やっぱり娘はパパに似ているね、と妻が評した。

(2019/5/1)拡大家族を得る幸せについて

最近、故あって、英会話学校に期間限定で通っている。ある程度社会的な話題について議論するのだが、ある週の課題は、結婚制度の意義についてであった。

結婚はなんのためにするのか、といった方向で考えればまた別の議論になったのかもしれないが、結婚することのメリットを考えた。他の参加者が意見を言うのをききながら、重ならない観点を、自分の経験に照らしながら思いを巡らすと、家族が拡大する、というポイントが浮かんだ。スマフォで調べるとextended family、という表現になることがわかり、それを述べた。

妻の家族は結婚するまで知る由もなかったが、いつも優しく朗らかだ。帰省するたびにありがたく感じる。新年には義父のお姉様が嫁いだ家族の新年会があり、毎年参加している。妻の姉妹とその家族も会うたび愉快で元気な経験を与えてくれる。

メリットなどという表現は適切ではないが、そしてかなりの僥倖という気もするが、このような幸せがあることは全く想定していなかった。

議論に戻れば、上記は結婚することの必然性とはいえないかもしれないが、というのも事実婚でも同様とおもわれるからだが、いずれにせよ、家族が拡大することの幸せを感じる。